円山ため小児科

北海道札幌市中央区北1条の小児科、アレルギー科の円山ため小児科

〒064-0821 北海道札幌市中央区北1条西23丁目
RK円山鳥居前ビル 3階
TEL 011-623-5755
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「子供のワクチン」

子供を重い感染症からまもる一つの方法が、ワクチン接種です。今回は子供が受けなければならない、“ワクチン”に関して、よく質問される内容を中心にして、分かりやすく説明したいと思います。

「ワクチンは、どうして感染症を防ぐことができるのですか?」

ワクチンとは、病気の原因になる細菌やウイルスを、弱めたりした物や、その一部の成分を体に接種し、その結果体内で作られる“抗体”により、感染症に罹りにくくするものです。また、感染した場合でも、症状は軽く済みます。ただ、自然に感染した場合よりも、抗体の作られる量は少ないため、数回の接種が必要な場合もあります。

「ワクチンは、いつから接種できるのですか?」

札幌市小児科医会では、“生後2か月は、ワクチンデビュー!”のポスターを掲示して、早期接種を呼び掛けています。ヒブ(インフルエンザ菌b型)・肺炎球菌・B型肝炎・ロタウイルスワクチンは、生後2か月から接種できます。かかりつけの小児科にて、接種してください。その際、今後のワクチンスケジュールも相談すると、良いと思います。

「定期接種ワクチンとは、どんなワクチンですか?」

“定期接種ワクチン”には、ヒブ・肺炎球菌・4種混合・2種混合・BCG・MR(麻疹+風疹)・麻疹・風疹・水痘・日本脳炎・子宮頸がん、があります。これらのワクチンは、原則として決められた期間に接種する場合は、公費(自己負担なし)で受けることができます。北海道でも、今年の4月から、日本脳炎ワクチンが、自己負担なしで接種できるようになります。
その他のワクチンは、“任意接種ワクチン”です。料金は自己負担になりますが、できる限り接種する事をお勧めします。

「同時接種は、必要ですか?」

同時接種とは、複数のワクチンを、同時に接種する事を言います。例えば、ヒブ+肺炎球菌・ヒブ+肺炎球菌+4種混合+ロタ、などの組み合わせです。
1回の接種で複数のワクチンを接種しますので、単独接種の場合よりも、短期間にワクチンスケジュールが終了できます。また、医療機関を受診する回数も減ります。諸外国では、スタンダードな接種方法です。同時接種により、副反応が増える事はありません。また、組み合わせていけないワクチンは、ありません。

「多少の鼻水、咳でしたら、接種できますか?」

明らかな発熱(37.5度以上)がなく、全身状態が良好である場合は、接種可能です。この場合、ワクチンの効果が弱まったり、副反応が出やすくなったりする事はありません。薬を飲んでいる場合でも、接種する事もありますが、主治医の先生とよく相談してください。

「ワクチンを接種した後、お風呂に入っても構いませんか?」

接種後1時間以上経っていれば、お風呂に入る事も、大丈夫です。ただ、接種したところは、こすらないでください。

「ワクチン接種後の、運動しても構いませんか?」

軽い運動は構いませんが、激しい運動は避けてください。具体的には、散歩や公園での短時間の外遊びは構いませんが、当日のスイミングスクール、サッカースクールなどや、スポーツ部活動は避けてください。

「なぜインフルエンザワクチンは、毎年接種するのですか?」

インフルエンザワクチンの効果は、3~4か月程度です。なので、春になると効果はなくなってしまいます。また、毎年ワクチンに使われる株が変わりますので、毎年の接種が必要になります。

「卵アレルギーと診断されていますが、インフルエンザワクチンの接種は、可能ですか?」

現在はワクチンの精製技術も進み、アレルギー反応を起こす可能性は、ほとんどありません。重症の場合は、皮内テストを行ってから、接種する場合もありますので、主治医にご相談ください。

「はしか(麻疹)のお話し」
“はしか”は、現在でも特効薬がない、非常に重い病気です。発症を防ぐため、現在では、MRワクチンという、風疹と混合した形式で、1歳児と小学校入学前に接種されます。
症状は、高熱・咳・鼻水・全身の発疹が主なものです。合併症も重いものがあり、中耳炎(15%)・肺炎(6%)・脳炎(約1000人に1人)が認められ、毎年日本でも死亡例が報告されています。

20数年前、私が病棟医として勤務していた頃の経験です。小学3年生の女の子が、けいれんと意識障害で入院しました。色々と原因を調べてみたところ、“はしかウイルス”による重症の脳炎と診断しました。“亜急性硬化性全脳炎”という病気です。この病気は“はしか”に感染後、7~10年後に発症するきわめて重い脳炎です。
病歴を聞いてみると、1歳の時に“はしかワクチン”を接種せず、2歳児に“はしか”に感染してしまいました。高熱が1週間続き、咳・鼻水もひどかったのですが、何とか合併症なく治りました。しかし残念なことに、完全に治ったわけではありませんでした。“はしかウイルス”が体の中で持続感染しており、結果として6年後に極めて重い脳炎を、発症してしまいました。
患者様の頑張りと懸命の治療、家族の願いも届かず、2か月間の闘病の末、残念ながら亡くなってしまいました。
「はしかのワクチンを接種していれば、はしかにも罹らず、脳炎にもならなかったのですね・・」
母親の言葉が、忘れられません。

「帰省します!」

7月の中旬になると、私の元にメールが来ます。「帰省しますよ!」と。連絡をくれるのは、高校時代の同級生の二人、A君とB君です。
A君は、東京大学の教授。専門は西洋史。特にギリシャ史の専門家として、活躍しています。私は高校時代いわゆる“文系”でしたので、卒業時の同級生になります。クラスの席代えの時、隣の席になって、色々な話をするようになり、仲良くなりました。
当時から、抜群に成績が良く、受験科目以外の教科も、常に学年トップでした。好きな勉強を、思う存分やりたい希望を持って、現役で東大合格。
2年後、私が東京の大学に入学してからは、一月に一回くらいのペースで会い、飲んでいました。一時就職してからは、お互い忙しく、会うペースは減りましたが、55歳の現在まで付き合いは続いています。そういえば、結婚披露宴の発起人も、させていただきました。
彼が札幌に帰省した時には、決まって狸小路2丁目の「銀座ライオン」で飲みます。メンバーはA君と私、そして高校の担任だったJ先生です。J先生は、御年80歳。英語の先生で、私たちを当時から大人として接してくださり、自主性を尊重してくれました。我々が、先生が札幌西高に赴任して、最初の担任学年だったこともあり、現在でも可愛がっていただいております。
共通の話題は西高時代の思い出話ですが、何杯かジョッキが空くうちに、話題もあっちこっちに飛び回ります。昔の仲間の近況、受験制度、現在の学生気質、親の介護問題や自分の不健康自慢等々。
“天下の東大”でも、昨今は国や文科省からの指導、要求が多岐にわたり、自分の研究だけ追及していれば良いという時代は過ぎ去り、大変厳しい時代であるらしく、最後は愚痴。愚痴を吐き、お互いに聞きあい、辛いのは自分だけではないと、妙に納得し、再会を誓う。それは、どこの世界でも変わりませんね。

B君は、高校時代のバンド仲間。彼がドラムス、私がヴォーカルでした。現在は、何かと話題になっている「東芝」の部長、本社勤務です。彼とも東京の学生時代、良く飲みました。当時私は三鷹、B君は磯子の独身寮に住んでいたので、中間地点の渋谷で飲みました。流行の“カフェバー”ではなく、小汚い居酒屋専門でした。
若かったのでしょうね、結構な量を二人で飲みました。彼はいくつか、“酒の武勇伝”を持っています。飲んだ帰りの電車で、ぐっすり眠ってしまい乗り過ごし、気が付いたらなんと愛知県!後から聞いて、大変驚きました。
B君の娘と、私の娘が同じ年齢ですので、小さいころは二家族集まって、花火をやったり、ゲームをしたり、公園で遊んだりしました。この娘たちも、今では高校3年生です。
B君とはこの5月にも、一緒に飲みました。アレルギー学会が東京であり、新橋で待ち合わせ。行きつけの“蕎麦屋”で、日本酒をごちそうになりました。ちょっとした手の込んだ肴も美味しく、締めの“せいろ”まで、十分堪能しました。
日本を代表する大きな企業の中で、33年を生きてきたB君。個人事業主の私とは、やはり随分と違った経験を積んできています。
組織内での生き方、上司への仕え方、後輩に対する指導の仕方、派閥の在り方、外国人取引先との接し方、接待の仕方・受け方、これからの日本経済の先行きなどなど、話題は尽きません。まあ、最後は思い出話と愚痴になるのは、しょうがありませんか。
この数年は、娘様が受験や、吹奏楽部の練習で、B君一人での帰省です。お盆の時期、私の家族を交えて、なじみの店で食事会です。自分の子供たちが高校生ですから、「高校生での出会いから、随分と長い付き合いだなあ・・」と、ある種の感慨があります。
友人二人の帰省。今年はどんな話題が、出ます事やら。今から楽しみです。

「2015年 冬」

1月〇日
今日は、「N先生お別れの会」があり、朝から葬儀場へ。年末に大変お世話になったN先生が、1年半の闘病生活の末、64歳でお亡くなりになりました。お付き合いいただいてから、約10年。この数年は、ゴルフで一緒にラウンドしたり、ススキノでお酒の席を共にしたりと、大変可愛がっていただきました。
医師会のリーダーとしても、随分とご尽力されました。天性の明るさと、エネルギシュな行動力、無邪気な笑顔が、皆を引き付けた、素敵な方でした。
年齢、専門、出身大学、出身医局、開業医・勤務医等々の立場の違いがある医師たちと上手に交流し、まとめることは、大変難しい事です。N先生が参加する飲み会は、いつも笑いが絶えず、本音で話ができました。医療制度の不備や課題・政治といったマジメな話から、ゴルフやススキノのお店や綺麗どころの話題まで、時間が経つのを忘れ、喧々諤々。有意義な時間でした。
日曜日に行われた「お別れの会」には、約500名の人が、先生のご冥福を祈り、最後の別れを惜しみました。N先生へのお別れの言葉がありましたが、皆様それぞれに、生前のN先生ならではのエピソードを含めた、素晴らしい内容でした。いかに多くの方々に愛されていたかが分かり、改めて悲しみが広がりました。
まだ64歳の若さですから、やりたい事、やらなければいけない事、見届けたい事、会いたい人、行きたい所、言いたい事・・、多々あったと思います。さぞ無念で、悔しかったはずです。
11月の宴会で、十八番の「東京」聴いたのが、元気な姿を見た最後でした。安らかにお眠りください。今は喪失感でいっぱいです。合掌。

1月△日
仕事を終えて、ススキノのライブハウスへ向かいます。到着が19:30。店の入り口に続く、階段を下りていくと、生バンドの演奏が聞こえてきました。
今晩は「フォークイン」という、北海道教育大学札幌校の音楽サークルの、同窓会です。医学部に入る前に、2年間在籍していましたので、参加させていただきました。当時は、先輩たちばかりのバンドに入れてもらい、ヴォーカルを担当しました。80年前後に流行ったAORや、当時好きだった「スペクトラム」のコピー「トマトイッパツ」「Act Show」なんかを、一生懸命歌っていました。
今回幹事のM様は、私より5年先輩で、ドラムを担当していました。私が入学時はすでに小学校教師として、仕事をしていましたが、バンドの練習後には「反省会」と称し、学生と一緒になって、深夜までドンチャン騒ぎ。随分と飲ませてもらいました。当時は給料の7割近くが、酒代だったようです。現在は更生(?)して、立派に校長先生として、ご活躍されています。
当日同窓会に集まったのは、現役学生の部員も含め45名。現役・OBの希望者には演奏してもらって、思い出話で、懐かしく、楽しく旧交を温めました。
T様は、当時「特美」に在籍。自ら作詞作曲をして、女性としては独特の低い地声で、切々とした愛の曲を歌っていました。歌詞も魅力的で、素敵な先輩でした。現在は結婚され、旭川でギャラリー&セレクトショップをされています。
A様は養護の先生。当時はウッドベースを弾いていて、「Jazz研」の立ち上げメンバーとして、活躍されていました。飄々としたキャラクターで、デニムが似合っていました。後輩にも気安く話をしてくれ、生意気だった私は、随分と助けられました。現在は体調を崩され、演奏はしていないとの事でしたが、35年ぶりに話をさせていただき、嬉しかったです。
O様は一学年上で、部の看板バンドで、ギターを担当していました。現在も当時のメンバーたちと演奏を続けていて、ライブもやっている現役です。ウエストコースト系やブルースを、楽しそうに、こなれた手つきでプレーしていました。音楽は、確かに人生を豊かにしてくれますね。
K様は当日所用のため、残念ながら欠席。2年先輩で、私とは35年のお付き合いです。ベース担当で、現役で演奏しています。M様・私と一時バンド活動を、一緒にしていました。今流行の音楽にも精通しており、教え子にはプロのミュージシャンもいます。私の歌の良き理解者であり、時にはシビアに感想を言ってくれ、アドバイスをくれます。ありがたい先輩です。
H様は、3年先輩。当日会計担当として、幹事をサポートしていました。正統的なフォーク系のスタイルで、弾き語りで自作の曲を歌っていました。キュートな容姿と女性らしい声は、コンテストでも入賞し、民放ラジオで番組も持っていました。所属していた「心理学科」の先輩でもあり、随分可愛がっていただきました。
大学に入学したばかりで、自意識だけが強く、かといって何も出来ず、これからの生き方を探していた頃の自分の姿を、おぼろげに思い出しました。短い2年間の教育大学時代でしたが、私には貴重な経験だったと、改めて思います。歌は現役ですので、次回の同窓会では、何か一曲歌いたいと思います。

「2014年 夏」

7月○日
昼まで仕事をした後、大急ぎで「札幌国際CC」に向かいます。現地到着が、スタート10分前。ストレッチもしないまま、素振りを数回して、スタートです。前半は仲間3人と、32度の暑さの中、大汗をかきながらのラウンド。
後半は、今日のメーンイベント、「女子プロF様」を交えてのラウンドです。F様は鹿児島出身で、現役のシード選手。一週間後に開催される「Meiji cup」出場のために、札幌入りされています。他のメンバーは、以前から交流があり、毎年この時期に、ゴルフをしているとの事。懇意にさせていただいているW先生のご紹介で、私は初めてご一緒しました。
F様は、白のピッタリとしたパンツに、黒の無地のポロシャツ姿。両腕、顔は日に焼け、精悍な印象です。
どっしりとしたアドレスから、コンパクトに振りぬきます。数ホール観察しましたが、いやあ、球が曲がりません!ほとんどのホールで、パーオンします。また、パターが素晴らしく上手です。傾斜と芝目をしっかりと読み切り、ボールはスルスルと、カップに寄っていきます。マナーも性格もとても良い選手で、いっぺんでファンになりました。
夜はFプロを交えての、食事会。ゴルフ談義で大いに盛り上がり、トーナメントでの活躍を期待し、出席者全員で温かく激励しました。


8月○日
15:45発の便で、関西空港へ。娘の「オープン・キャンパス」に付き添い、二泊で京都です。ホテル到着が20:00時。もう少し空港から近ければと、いつも思いますが、仕方がありません。夕食後、早めに就寝。
翌日の京都は、朝から強い日差しが照りつけ、予想最高気温は36度。湿度の高い風が、ゆるゆると吹いています。10:00過ぎにキャンパス到着。人気の高い大学なので、沢山の高校生がキャンパス内を歩き回っています。私のように遠方から来たのでしょうか、保護者同伴の高校生もかなりの数です。構内にはボランティアの学生たちが、案内や説明に颯爽と動き回っています。1時間ほど、娘と一緒に構内の博物館、図書館などを見学。娘は午後からの学部説明会に出るとの事で、私は一人キャンパスを離れました。
時計を見ると、まだ11:30です。少しばかり鴨川を散策した後、電車で「鞍馬山」に向かう事にしました。平日の昼間なので、電車はすいていて、京都郊外の景色をゆっくりと見ながら、約30分で終点に到着。山からの風は、街中より幾分涼しく感じられます。
「鞍馬山」の頂上を目指し、汗を垂らしながら山道を登ります。鞍馬山は山全体が信仰の対象のようで、高い木々や自生している植物、動物、虫なども大切にされています。山の澄んだ空気とエネルギーを感じながら、20分で山頂に到着です。大講堂からは、月一回の例会のようで、大人数の念仏が聞こえてきて、何か敬けんな気持ちになりました。
昼食後、電車・地下鉄を乗り継いで、京都市内へ戻ります。猛暑の中、結構な距離を歩きました。ホテルに帰る前に、汗を流すために「京都タワー」地下の銭湯へ。入浴料金750円也。時間が早いせいか、数人のお客様でしたので、ゆっくりと湯船に浸かります。夕食はホテル内で日本料理。夏の京都は久しぶりでしたが、鱧のお椀が、絶品。日本酒を冷やで、2合半。

8月△日
平岸霊園で祖父・祖母の墓参りを済ませて、札幌インターチェンジから、高速に乗ります。思ったよりも混んでいて、剣淵に着いたのが12:00。道の駅で昼食です。時分時でしたので、15分待ちでテーブルに案内されました。私は味噌ラーメン。奇をてらわない味付けで、普通に美味しかったです。女房と娘はうどん、息子は醤油ラーメン。
名寄→興部→紋別→サロマ湖へ。途中特に名所もありませんので、ひたすら80キロで車を走らせます。佐呂間町のいつものスーパーで、むきホタテ・北海シマエビ・マトンジンギスカンを、札幌のお土産に注文し、ホテル到着が16:45。残念ながら曇りだったので、名物の夕陽を見ることはできませんでした。温泉は鉄分が強めでしたが、なかなかのお湯。夕食はバイキングでしたが、ホタテの刺身、野菜の天ぷら、青ツブ美味し。昨日飲みすぎたため、日本酒1合半+瓶ビール1本で終了。早めに就寝。
朝は7:00起床、朝風呂に軽く入ってから、朝食後9:00にホテルを出発。あいにくの曇りの天気です。
硫黄山→摩周湖→美幌峠→北見経由で、温根湯温泉に向かいました。今夜は、2年に一度の「S会」(Sは女房の旧姓)です。女房の親戚一族が総勢40名、温泉に泊まり宴会をして、懇親を深めます。東京からも二家族が、飛行機を乗り継ぎ参加です。16:00に、宿到着。温泉でリラックスした後は、18:00からの大宴会です。
大広間に全員が集まり、宴会開始。私からは「加賀鳶」を差し入れ。乾杯から始まり、各家族の近況報告、カラオケ大会、演芸大会と延々3時間の長丁場です。座敷なのでそれぞれ自由に席を移動し、杯を重ねます。普段ほとんど歌わない私も、お付き合いでカラオケを一曲披露しました。昭和歌謡の名曲、辺見マリの「経験」です。
女房の親戚は、なかなかユニークな方々がいますが、今回のメインは「S氏」です。女房の旧姓をペンネームにし、現在放送作家・小説家として活躍されています。年は43歳。女房の従弟に当たります。
初対面でしたが、礼儀もしっかりしていて、気も遣う、なかなかのナイスガイです。文学やマスコミ、酔いも手伝ってか、人見知りの私としては珍しく話が弾み、再会を約束しました。どこの業界でも、成功するには才能だけではなく、地道な努力や気遣いが、必要なのでしょうね。増々の活躍を祈りたいと思います。
気を付けていましたが、少々飲みすぎました。日本酒は後からきいてきます。二次会部屋では、飲み足りない面々が集い、昔話に興じています。申し訳ないと思いながら、部屋に戻り布団に潜り込みました。明日でお盆休みも終わりです。月曜日から仕事です。
気を取り直して、がんばりましょうか!

防犯カメラ設置しました

基本的に、私は「性善説」を信じています。まあ、希望的な意味合いも含めてですが・・・。
4月の某日。
「先生、患者様のお父様の靴がありません!」
「えっ、何だって?どうして?」
子供の付き添いで来院したお父様の靴が、こつ然と玄関から姿を消していました。その患者様が在院した時間は、10分間。その間、他の患者様は院内には居ませんでした。
「なんとなく、私たちが部屋に入った後に、玄関の自動ドアが開いたような気が・・・」
「どんな靴ですか?無くなったのは」
「スニーカーです」
「新品ですか?」
「いや、もう3年履いています。新品というわけではないです」
「そうですか、大変申し訳ありません・・・・」
幸い家が近所でしたので、代えの靴を届けてもらって帰っていただきました。

次の日。
「先生、また患者様の靴がなくなっています!」
「えっ、またかい・・。こんどはどんな靴?」
「女性物の、スニーカーです」
1歳の子供を連れてきて、診察後帰ろうとしたお母様のスニーカーが、なくなりました。二日続けての事件です。
開院して13年になります。雑誌やおもちゃがなくなる事は数回ありましたが、今回のような悪質なのは初めてです。受付から玄関がブラインドになっていますので、泥棒にとっては都合良い構造ではあります。
いろいろ相談もし、鍵のかかる靴箱の設置なども考えましたが、結論として玄関に防犯カメラを設置することに決めました。
全部で13万円也。痛い出費です。
幸い、防犯カメラ設置からは、被害はありません。

しかし、今度は駐車場でトラブル発生!
クリニックの駐車場に止めておいた、私の車が何者かによって傷つけられました。帰ろうとして、車を見たら無残にも右前のタイヤ付近に、大きな傷が!これだけの傷ですから、接触して気づかなかったとは考えられません。確信犯。まずいと思って、逃げたのですね。増税前に買ったばかりでしたので、参りました。
すぐに修理に出しましたが、修理代は13万円也。
厄払いにでも行きましょうか?
私の「性善説」も、随分と揺らいできました。
駐車場にも、防犯カメラを設置しようかとも、考える今日この頃です。